川上村柏木は奈良県の中央部の東部、吉野川の上流域左岸に位置する。 江戸期は幕府領、村高は「慶長郷帳」「寛文郷帳」ともに50石余、「元禄郷帳」77石余、「天保郷帳」78石余。 川上郷辺りでは近世初頭に林業がはじまり、気候と土壌に恵まれて良質の杉を産出した。元禄年間(1688〜1704)頃から清酒用樽材の需要が増加するのをはじめとする商品経済の進展は、杉や檜の需要を増大させ、植林を促進させた。吉野杉の名声が高まり、筏流しに適した吉野川の自然条件にも恵まれ、急速に林業が発達した。 又、古くからの女人禁制の修験道の根本道場である大峰山上参りの登山基地として栄えていた。元来、大峰山の山上参りは、熊野から入るのを「順の入り」、吉野山から入るのを「逆の入り」といい、洞川からは登らなかった。山上ガ岳での行が終わると洞川へ下りてくるのが通例だった。洞川から登るようになったのは大正11年からバスが洞川まで通じるようになったのと、柏木からだと約5時間かかる山上ガ岳登山も、洞川からなら約3時間弱であったことにより、柏木からの登山が急速に衰退した。 大峰山寺の本堂は、毎年5月初旬の戸開にはじまり、9月下旬に戸閉をしたのに合わして、柏木でも旅館や土産物屋が営業していて、他に東熊野街道を通る旅人相手に宿場として、杉林業の山仕事を生業としていた。 柏木集落は第2次太平洋戦争後も、川上村では町役場所在地の迫集落に次いで旅館や商店が多く大勢の買い物客で賑わっていた。今、町並を歩くとその名残が当時のまま残っている。 旅館も10軒程有ったとの話。旧東熊野街道(国道旧169号線)の両側に商店だった当時のままの家屋が、誰も住まなくなった姿で残っている。軒並み商店だった様子がハッキリと判り、ここは雑貨屋さん、ここは電気屋さん、生鮮食料品屋さん、旅館、農機具屋さん等々。今でも旧街道を歩くだけでこの家は何の商売をされていたかが判る町並。寂しい町並と云うより哀れな町並の様子で、心痛む町並探訪だったが、郵便局と警察署の交番が町並の中に残っていて、ちょっと違和感を感じた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 平成5年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
柏木の町並 |
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