かつらぎ町妙寺の町並み
妙寺
地図


妙寺の町並
 妙寺村は西流する紀ノ川北岸の伊勢街道(大和街道)沿いの町並である。中世以降、高野山や槙尾山が真言密教・観音信仰の霊場として賑わい、また紀伊と河内・和泉等との経済的な交流が盛んになるに伴い、東西に走る伊勢街道(大和街道)と南北の大畑街道(蔵王峠を越えて河内の滝畑に通じる)や高野山町石道との交差する妙寺が賑わい、交通上の重要な拠点となった。また紀ノ川の河川交通路としても機能していた。
この地は川上木綿と言われる在方木綿業が盛んであり、川上酒と言われる在方酒造業も盛んであった。
江戸時代は和歌山藩知行地であって、丁ノ町組に所属していた。慶長6年(1601)の検地帳では家数87。宝永5年(1708)の丁ノ町指出帳によると家数174・人数751。また続風土記によると家数233・人数727とある。明治6年には家数292・人数1244とある。
そして明治の日露戦争後は生糸の輸出が活発となり、蚕の飼料の桑の生産が盛んになり最盛期の大正期には紀ノ川流域では殆どの田畑が桑畑に変わったと云われる。製糸業も発達し、明治中期から大正期にかけて製糸工場の隆盛をみた。
しかし昭和恐慌は製糸業にも波及し、昭和初期には製糸業も養蚕業も衰退してしまった。
現在はミカン栽培や果樹栽培が多くの農家で行われいる。
今、旧大和街道沿いの妙寺の町並を歩くと、古い伝統的な家屋が連なりまた点在している。
過っては町並として、商店街として機能していたのであろうことは容易に想像できる家並であるが、今では殆どの家は軒を閉ざして、営業をされてないか無住になっている。
人が住まなくなった家屋が傷んで朽ちて行く姿をみるのは、町並愛好者としては悲しく耐え難い思いになるが、隣近所の方はそれ以上に心を痛めておられると思う。町並をそのまま残すのは大変なことであるとつくづく思う。
町並み指数 40
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  和歌山県の地名  平凡社  下中邦彦  1983

妙寺の町並

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