今回訪ねた笠田中・笠田東は紀ノ川中流域右岸で、葛城山脈の南斜面から紀ノ川沿岸部にかけて立地していて。今回訪ねたのは紀ノ川に近い旧大和街道沿いの町並みである。 江戸時代は和歌山藩領知行所で、丁ノ町組の所属していた。 笠田東は江戸時代には東村と云われ、慶長6年(1601)の検地帳では家数99.宝永5年(1708)の丁ノ町組指出帳では家数176・人数806・牛63・馬12・池7・川船3とある。また、続風土記によると家数128・人数485とある。明治6年には家数234・人数980。 笠田中は江戸時代には中村と云われ、慶長6年(1601)の検地帳では家数40。宝永5年(1708)の丁ノ町組指出帳では家数76・人数398・牛16・馬9・池6とある。続風土記によると家数92・人数303とある。明治6年には家数99・人数446。 旧大和街道沿いに集落が発達し、泉州から粉河街道そして西高野街道として高野山への道も交わり、多くの往来で賑わい商業が発達していたと思われるが、農業を生業にした村にな変わりない。今もかっての街道筋の名残を色濃く残す町並みを展開している。 平入りで切り妻造り・入母屋造り、中2階建て漆喰塗込めの重厚で広大な商家の建物が連なっている。中には煙出しを備えた大きな入母屋造りの建物も見られ、賑わっていた当時を彷彿とさせる町並みが残されていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和60年 和歌山県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 |
笠田の町並 |
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