橿原市は県の北西部に位置し、下八釣集落は橿原市の東部の田園の中にある小さな集落である。 江戸期のはじめは大野治直領、元和元年(1615)幕府領、元和5年(1619)郡山藩領、延宝7年(1679)からは幕府領で明治を向かえる。 村高は「慶長郷帳」では下矢取村と見え211石余りの小さな村。「寛文郷帳」では下八鳥村と見え同高。 延享元年(1744)村明細帳によると、家数21・人数118で、米作は早損地が多いので木綿作が45パーセントを占めている。文化10年(1813)村明細帳では家数20・人数102とある。 明治15年頃の家数14・人数90とある。 米作・綿作を主にした農村集落であったことは判るが、その他の資料に乏しく詳しくは判らない。 今、集落内の極一部だが見事な農村集落の町並みが見られる。どうしてこの一画だけにこの様な家屋の繋がりがあり、それが今に残っているのだろう。昔からの一族かも知れないと思いながらの探索だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
下八釣の町並 |
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