橿原市の八木の南、又有名な今井町の東に位置する小房(おうさ)町辺りは、中街道(下ッ道)沿いの町として八木の延長線上の町として栄えていたのだろう。 明和6年(1769)四分村から分村して成立した村で、江戸時代を通じて高取藩領であった。村内に真言宗観音寺(小房観音)がある。癪(しゃく)痛に悩む人のために覚澄がこの観音に祈願したところ癪痛がなおったため、それ以後、癪観音とも云われている。 明治15年頃の家数107・人数447。明治21の家数125・人数611であった。 町並は旧中街道(下ッ道)に沿って、南八木町の南に展開する。町並を構成する商家の建物や民家は、八木の町並と大差なく、切り妻造り2階建て又は中2階建て、平入りの家屋が連なり、中には面格子を残した家や袖壁を備えた家、煙り出しを残した家もあり古い町並みとして、落ち着いた佇まいであった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
橿原市南八木町二丁目の町並 |
橿原市小房町の町並 |
橿原市小房町の町並 |
橿原市小房町の町並 |
橿原市小房町の町並 |
橿原市小房町の町並 |