海南市下津町塩津の町並み 
下津町塩津
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下津町塩津の町並み

 塩津浦は和歌山の城下町が成立するころから急速に発展し、「イナ網」と呼ばれる敷網漁が盛んになった所です。
寛永年間(1624〜44)には308戸を数え、元禄9年(1696)には漁船115・いさば船41・廻船11など計187艘の船があって、漁業・廻船業を生業としていた。紀伊水道を往来する廻船の寄港地ともなり、大阪・兵庫・和泉・備前・讃岐などへの廻船の港として発達していた。
家数は慶長6年(1601)163軒、寛永19年(1642)302軒、慶安2年(1649)306軒、寛文6年(1666)347軒、元禄9年(1696)415軒。天保10年(1839)完成の紀伊続風土記では家数445軒・人数1,127人。天然の良港で諸国廻船の出入りも多く、和歌山への通船もあり賑わいを見せていた。廻船業も栄え、瀬戸内方面への水運に従事していたし、漁業も盛んだった。
近世の塩津浦について諸用控で、慶応3年(1867)の御用留には漁師153軒、小廻運賃船51軒、御用渡海船7軒、職人20軒、認屋1軒、作間稼1軒、医師1軒、農家1軒、米商4軒、干鰯商2軒、網商2軒、小商人139軒の計382軒とある。
前記の紀伊続風土記は「山の片原に家居し、北の方海岸に臨み、土地狭隘にして人家稠密尺村の隙地なし、村中三間口より大なる家なし、繁昌の地なること知るへし」と記している。
今、この集落を歩くと、狭い路地道が縦横に曲りくねって迷路のように延びている。平坦なところは最近埋め立てて造られたもので、集落内の大部分は急傾斜の路地道で繋がっている漁村特有の景観である。この地も瀬戸内からの続きで、今でも本瓦葺きの民家が多く存在し、古い集落なんだなあと実感できる。
江戸時代以前からこのような形態の集落が形成され、今に綿々と受け継がれているのだが、過疎化は避けて通れず、この集落でも老人ばかりの社会が形成されつつあった。 
町並み指数 50
参考文献     
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和60年
  和歌山県の地名  平凡社  下中邦彦  1983年 

下津町塩津の町並

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