印南は印南川の河口に広がる漁村で、旧熊野街道の宿駅・廻船の基地としても栄えたようで、「紀伊名所図会」には「印南駅土橋辺の図」が載り「印南川の海口小湾中の駅所にて旅舎も多し」と記載されている。 印南浦は天正年間(1573〜92)から、大渡海船により東は房総、西は日向・五島列島辺りまで進出し、鰹釣りの浦として知られ、鰹節の製法を土佐・安房に伝えた。 最盛期は近世中期の享保〜明和(1716〜72)頃までであって、安政年間(1854〜60)頃からは鯖の夜焚漁へと変わっていき、鰹釣漁業は衰えていった。 延宝6年(1678)の「日高鑑」には「印南浦」とあり、家数472・人数1,917とあるが、幕末の「紀伊続風土記」では家数389・人数1,395とかなり減少しているのは、鰹釣漁業の衰えと思われる。 今、古い町並は旧熊野街道沿いに僅かに残っているのみである。平入り、妻入りの家屋が入り混じった町並だ。只、海岸に近い所だが、湾内奥で風の被害が少ないようで南紀特有の平屋の建物が少なく、2階建ての建物で構成された町並が展開していた。 和歌山県の地名 平凡社 下中邦彦 1983年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和50 |
印南の町並 |
印南の町並 |
印南の町並 |
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