古代から龍田は万葉集・古今集をはじめ勅選集・和歌集などに多く登場する地名である。 万葉集に登場する「龍田越え」は、いわゆる龍田道のことで、大和と河内を結び、法隆寺の南から龍田大社(本宮)の前を通り、大和川北岸の龍田山を越えて竹原井(現柏原市高井田)に抜ける道である。狭く険しい道であったが、平城京遷都後は竹内越えに代わって、使者の往来や天皇の行幸に利用された道である。 中世に入っても龍田越えに沿う当地は、交通の要衝で、龍田市が開かれて賑わっていた。 龍田村の江戸期は慶長6年(1601)龍田藩領、明暦元年(1655)幕府領、寛文2年(1662)旗本片桐氏知行、元禄7年(1694)からは幕府領。 中世から市場町として発達した龍田村は、元和4年奈良街道(旧龍田越え)に沿った長さ178間・左右裏行15間が町として公認され、家主・借家関係も成立している。 当地には油屋が多く存在し、安永2年(1773)平郡郡内に水車油屋8名・人力油屋15名の計23名が見えるが、そのうち12名が龍田村民で、販路は京・大坂をはじめ地元の社寺に小売されていた。その他に綿関係の商人もおり、街道筋のため、旅籠の発達も見られる。 宝暦10年(1760)の村明細帳によると家数311軒・人数1,203人である。天保8年(1837)の家数325軒・人数1,272人と宝暦に比べて少し増加している。 今町並みは龍田一丁目から龍田4丁目にかけての、旧奈良街道沿いに展開する。伝統的な建物は、切り妻造りで中2階建て、平入り・虫籠窓などは、関西で見られる通常の古い町並みと大きな変化はないが、格子は奈良のこの地独特の荒格子が多く見られた。 龍田一丁目から三丁目までは殆ど一直線の旧奈良街道で、その南側に国道25号線がバイパスとして造られていて、旧街道は静かな道筋に伝統的な商家の建物が連なっていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 1990年 奈良県の歴史散歩下 山川出版社 奈良県歴史学会 1993年 奈良県の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
龍田一丁目の町並 |
龍田二丁目の町並み |
龍田二丁目の町並み |
龍田三丁目の町並み |
龍田三丁目の町並み |
龍田南六丁目の町並み |