東吉野村小川の町並み
小川
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小川の町並み

 東吉野村は県中央部の東端にあり、村役場のある小川は村の西部に位置する。江戸時代には鷲家口村と呼ばれ、高見川と鷲家川の合流点に位置している。
小川と改められたのは昭和33年のことである。
江戸はじめは旗本辻子和泉知行、元和5年(1619)郡山藩領、延宝7年(1679)からは幕府領のまま明治を向かえる。
山村であるが、小川郷と川上奥郷を商圏とする商店が並ぶ商工業地域であり、特に紙商人の活躍が目立っていた。川上街道は川上奥郷の村々を結ぶ重要な道で往来も盛んであり、旧盆前の12日と旧暦正月前の26日には市が立って賑わっていたといい、また、鷲家と共に宿場町としても栄えていた。文化12年(1815)の家数91とある。
文久3年(1863)秋の天誅組の変には、天誅組同志30余名はこの道を通って鷲家口村に入ったが、壮絶な戦死を遂げて、天誅組の終焉の地となった。
小川郷の育成林業の始まりは元禄から享保年間(1688〜1736)の頃で、それまでは天然材の切り出しであったが、商品経済が発達して、杉・桧の需要が高まり、この地方でも杉・桧の植林が始まった。とりわけ灘の清酒用樽には吉野杉が最良とされ、益々名声が高まり、植林が活発に行われ、筏流しで吉野杉・桧が運び出された。
明治15年頃の村況は家数170(農業126・商業44・工業5)・人数792で特産は材木・杉桧等であった。
今、この村を訪ねると高見川右岸に沿って町並みが展開している。かって商業が発達していた地域の名残で大きな商家建物が連なり、見応えある古い町並みを残しているが、今もこの地域の商業の中心地である。平入り切り妻造りの中2階建て・2階建ての重厚な商家建物が、街道に沿って連なっている。
町並みの規模はさして大きくないが、良質の木材を使った家々は長い風雪に耐え得る造りになっているのだろう。新建材の新しい家が町並みに少く、好感のもてる町並みを形成していた。
町並み指数 50
参考文献
  
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1990年
  奈良県の地名  平凡社  下中邦彦  1981年
  奈良県の歴史散歩下  山川出版社/奈良県歴史学会  1993年


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