御所市名柄は大阪府と奈良県の境界に聳える葛城山と金剛山の連なる金剛山地の東側に位置し、両山の間の水越峠を東に下りた所である。 金剛山地の東側を南北に走る名柄街道と、東西に走る水越街道の交わったところで、宿場町として栄えてきた。 名柄は江戸時代初期には、備中国松山藩領であったが、元和元年(1615)から近江国小室藩領。天明6年(1786)からは幕府領となる。天保3年(1832)には97軒であった。 名柄で有名な事件は、元禄10年(1697)頃から大和(奈良県)側と河内(大阪府)側の水越峠の国境論から端を発した水論がある。これは国境の策定をめぐって抗争中の、元禄13年(1700)河内側が峠の水をすべて河内の方へ切り落としたため水論に発展したもので、大和側が提訴して一旦和解したものの、翌年また河内側が水を切り落としたために、京都所司代に訴えて勝訴し決着を見たというものである。 御所をはじめ大和地方は水不足が深刻であったので、早くから綿の栽培が行われていた。この綿栽培を背景として農家の副業で木綿織が行われるようになり、宝暦年間(1751〜64)に、御所の浅田松堂が絣織を発明し、奈良盆地南部を中心に大和絣が発展した。 綿栽培と共にこの地の産業は菜種油製造と薬草栽培と売薬が有名であった。 名柄の町並を歩くと、名柄街道に沿って国の重要文化財に指定されている、中村家住宅をはじめとして、久保家・末吉家・池口家などの江戸時代の重厚な商家の建物が点在する。 その中でも、ひときわ異色なのは中村家住宅で、商家の建物に混じって風格ある建物である。慶長年間(1596〜1615)建築の代官屋敷の建物で、この近辺では一番古い建物である。切り妻造り平入り、本瓦葺きで商家の建物より、農家の建物に近い建て方である。 奈良県の歴史散歩 山川出版社 奈良県歴史学会 1996年 角川日本地名大事典 角川書店 角川日本地名大事典編纂委員会 奈良県の地名 平凡社 日本歴史地名大系30 下中邦彦/1981年 |
中村家住宅 |
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