五條市野原西の町並
野原西2丁目・野原西4丁目
地図


野原西4丁目(左側)・野原西2丁目(右側)の町並
  五條市野原は奈良県中央部の最西端、吉野川左岸に位置している。
近世はじめは旗本上条氏知行。寛永年間(1624〜44)頃から旗本畠山氏知行。
野原村の村高は「慶長郷帳」「寛文郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに1,315石余。
十津川村から新宮に向かう西熊野街道が通り、奥吉野方面に向かう道も分岐する交通の要衝として発展した。
江戸期、吉野川の河岸に沿って竹藪をつくり護岸用としていたが、田畑の開発により竹藪が減り、そのために水害が多くなったとあるが、当地の産物に竹火縄がある。
「町村誌集」によると、明治15年頃では家数430・人数1,623、牛30・馬4、日本形船8。産物は米・麦・葉藍・竹・酒・酒粕・醤油・油・白木綿。民業は工業12人・商業31で残りは農商兼業とあり、商業も盛んであったようだ。
大正期には桑園が吉野川流域一帯に広がり、養蚕業が副業として盛んになった。野原村の中心集落は奥吉野に入る交通の要衝として、昔から宿屋や商店が連なっていた。下市までバスが開通して宿屋は廃れたが、商店街はその後も発展を続けた。
地図を眺めていて、この辺りに町並が在るのではないかと思い訪ねると、思わぬ古い町並が見られてびっくりの町並探訪になった。町並は南北の西熊野街道と東西の下市への道の両側に展開していた。切妻造り・中2階建て・2階建て・袖卯建・平入・漆喰塗り込めの虫籠窓、中には本瓦葺を残した家屋も見られたが、煙出しを残した家は見なかったと思う。
町並み指数 50
参考文献 
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  1990年
  奈良県の歴史散歩下  山川出版社  奈良県歴史学会  1993年  

野原西2丁目の町並

野原西4丁目の町並

野原西4丁目の町並

野原西4丁目の町並

野原西4丁目の町並

野原西4丁目の町並

野原西4丁目の町並

野原西4丁目の町並

野原西2丁目(左側)・野原西4丁目(右側)の町並

野原西4丁目の町並
 
野原西4丁目(左側)・野原西2丁目(右側)の町並
 
野原西4丁目の町並
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