江戸時代の恩智村は八尾市街の南東部の生駒山地の西側に発達した扇状地上に立地した集落。集落の中央部を東高野街道が通っていた。 江戸期この地で有名なのが綿作である。宝永元年(1704)の大和川の付け替えはこの地に大革命をもたらした。 それまでは大和川は幾つもに分流し、度々氾濫を繰り返していたが、大和川付け替えにより氾濫がなくなり、旧川筋には多くの新田ができた。新田では綿が作られ綿作はこの地最大の産業となった。またその綿を使った木綿織も盛んになり河内木綿と言われた。木綿織は高安山一帯の村々で特に盛んで「山の根木綿」の名で知られ、山麓地帯の木綿問屋・仲買組織を「山の根き組」といった。 これに対して八尾寺内村を中心とした組織を「八尾組」。久宝寺寺内村を中心とした組織を「久宝寺組」といった。宝暦5年(1755)「山の根き組」「八尾組」「久宝寺組」が河内木綿の流通拡大を図って、組合規定を作っているが、その組合定書によると恩智村が中心となって構成されていたことが判る。 明治期に入ると近代紡績の発達で綿作は行き詰まり、代って高安山山麓では果樹や花弁の園芸農家・植木造園業が盛んになった。 今町並を歩くと、綿作時代の冨の蓄えであろう、豪勢な建物が多く見られる。東高野街道がそのまま国道170号線になっているが、この街道沿いに町並みが余り発達しなかったようで。東高野街道沿いを中心に集落全体に伝統的な様式の家屋が点在していた。 大阪府の地名U 平凡社 平凡社地方資料センター 1986年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58 |
恩智中町の町並 |
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