関宮は但馬地方の南部に位置し、西には氷ノ山、北には妙見山がそびえる。 慶長9年()から幕府領となり、明治を向かえている。村内を山陰道が通り、山陰道沿いに関宮集落が発達する。 天正元年()八木豊信の支配当時、八木川上流で砂金が発見されたと伝えられている。良質の砂金が産出したことから、羽柴秀吉は但馬平定後には直轄地として金山振興策をとっている。江戸期に入り寛永年間(1624〜44)〜寛文年間(1661〜73)までが金山の最盛期であった。 明治14年の家数148・人数852とある。明治に入ってからは稲作・養蚕・果樹栽培や但馬牛の飼育が盛んであったが、今ではそれも衰微し、現在では高冷地野菜(大根)や温室での花卉栽培が広く行われている。 今、町並みは旧山陰道に沿って展開している。旧街道に沿って平入り切り妻造りの家屋が並ぶ光景は、街道筋の町並みの名残だが、特別古い様式の家屋が残っているわけでもない。只、煙出しを残した家や本卯建を揚げた家屋が残っていて、古い町並みとしての彩を添えていた。 神戸市史 神戸市 神戸市史編纂委員会 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 |
関宮の町並み |
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