養父市大屋町和田は兵庫県中央西部、円山川支流の大屋川の支流明延川流域の集落。 江戸はじめは出石藩領、慶長18年(1613)岸和田藩領、元和5年(1619)再び出石藩領、一時収公されたこともあるが出石藩領だったが、元禄16年(1703)幕府領となり幕末に至る。 村高は宝永3年(1706)の出石藩所替書類によると旧高60石余・改出高9石余、天保郷帳では高69石余。明治14年の家数130・人数589。特産物は山桑・繭・木炭・鉱石・生糸など。 和田村の最南部の集落は明延で、鉱山として栄えていた。奈良東大寺の大仏鋳造に銅を供給したとの伝承がある。明延鉱山の鉱夫たちなどが参集した当地には町場が形成され明延町と呼ばれた。元禄11年()に生野奉行所に提出した書類によると、明延町は4町からなり家数67とある。しかし鉱山の衰退にともなって、寛保2年(1742)には家数34・人数137となっていた。近代に入り官営になり、その後三菱傘下を経て明延鉱業として細々と採掘が続けられていたが、昭和62年に閉山になった。 江戸時代末期の開港・貿易の開始によって、生糸が日本の主な輸出品となり、但馬地方でも明治期以降養蚕が盛んになり発展していった。 今回訪ねたこの和田にも多くの養蚕農家の3階建て、2階建て建物が残っている。 大屋根の上に乗った換気のための小屋根、住居と生産の場が一緒になった3階建ての母屋など多くの養蚕農家の建物が残っていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地大辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名T 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1999年 |
大屋町和田の民家 |
大屋町和田の町並 |
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