養父市大屋町筏は兵庫県中央西部、円山川支流の大屋川が集落内を東に流れる。 江戸はじめは出石藩領、慶長18年(1613)岸和田藩領、元和5年(1619)再び出石藩領、一時収公されたこともあるが出石藩領が続き、天保7年(1836)幕府領となり幕末に至る。 村高は出石封内明細帳によると120石余、家数51・人数332。「天保郷帳」187石余。 明治初年の記録によると、18ヶ所の谷間に99戸が点在していたという。木地師の屋敷が目印になり、木地屋敷の右、木地屋敷口などと方向を示す時に利用されていた。 江戸時代末期の開港・貿易の開始によって、生糸が日本の主な輸出品となり、但馬地方でも明治期以降養蚕が盛んになり発展していった。 今回訪ねたこの筏にも多くの養蚕農家の3階建て建物が残っている。 大屋根の上に乗った換気のための小屋根、住居と生産の場が一緒になった3階建ての母屋など多くの養蚕農家の建物が残る。なかには卯建を揚げた家屋も見られる養蚕農家の名残が残る集落だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名T 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1999年 |
大屋町筏の町並 |
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