豊岡市竹野町竹野の町並
竹野町竹野
地図


竹野町竹野の町並

 豊岡市竹野町竹野は兵庫県北東部、竹野川の河口、日本海に面して位置する。
江戸期はじめは出石藩領、天保6年(1835)幕府領、嘉永5年(1852)からは出石藩領。
村高は寛保元年(1741)の御領分中高附之覚で757石余、「天保郷帳」760石余。元文4年(1739)の家数人数其外書上帳によると家数292・人数1,482、船32。文化11年(1814)の家数315・人数1,375、廻船53・磯乗船45。また、同年の「竹野村船数石数等書上によると、60石積13艘・80石積9艘・100石積5艘・120石積5艘・130石積2艘・140石積3艘・150石積5艘・160石積4艘・20石積運賃積船7艘・磯乗船45艘・〆船98艘があった。
弘化2年(1845)の村々船往来運上取立一村限帳に竹野浜の廻船は56艘とある。
竹野村は北前船の村として隆盛を見て、揚げ浜方による製塩が行われていて、元禄12年(1699)の出石藩への上納高は塩164石・魚油1石余。
また、竹野村は度々大火に見舞われ、万治3年(1660)全焼、宝暦3年(1753)の大火、天明5年(1785)300軒、文政6年(1823)263軒、天保6年(1835)275軒、天保10年(1839)265軒・慶応2年(1866)259軒が焼失している。
江戸中期から繁栄した北前船は、明治45年の山陰本線の開通により次第に衰微した。明治42年の家数646・人数3,673、大正9年の家数662・人数3,695とある。
山陰本線の開通で竹野駅が開設されて以来、竹野浜は青く澄んだ水と砂浜の遠浅が続く北近畿隋一の海水浴場として、早くから京阪神にまでその名が知られた。
今、竹野浜の集落を歩くと、河口の漁港に多くの漁船を係留した漁業と農業と観光で生きる集落である。板張りの家屋の多くで、夏の海水浴客、冬のカニ料理客を目当てとした民宿が多く見られる。メイン通りには廻船問屋だった建物も多く残り、一歩路地道に入ると、漁村集落そのものの印象を受ける集落であった。
町並み指数 50
参考文献 、
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地大辞典編纂委員会  昭和63年
  兵庫県の地名T  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1999年

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並

竹野町竹野の町並
古い町並へ戻る