豊岡市日高町府市場は円山川中流域左岸で、豊岡市街から南へ、円山川を遡ること5km程の所に位置し、集落は国道312号線に沿った手辺と東部の国府市場から成り立っている。 江戸はじめから出石藩領、天保6年(1835)からは幕府領。豊岡城下から南下して江原・八鹿に向かう但馬街道が集落内を通る。元禄8年(1695)の家数82・人数340。天保13年(1842)の家数96・人数414とある。 享和2年(1802)の菱屋平七長崎紀行には土居村を出て「ひきつづき手辺(府市場の西部で今回訪ねた所)、人家百軒計あり、商家多し」とあることから、但馬街道に沿って集落の町並みが展開し、商家が多くあった様子がわかる。 円山川船運は重要な役割を持っていたので、円山川沿いの府市場村にも船運もあっただろうし、鮎などの漁業も行われ、現物納めや銀納めが課せられていた。また、江戸中期から養蚕製糸が盛んにだったが、飛躍的な発展を見るのは安政年間(1854〜60)である。 この町並は、久美浜から江原へ向かう途中国道312号線を走っていて見つけたもので、国道に沿った古い町並みも珍しい。早くから旧但馬街道を逸れて国道312号線が開通していたので、国道に沿って町並みが形成されたのだろう。 国道に沿って展開する町並みの建築年代は新しく、昭和に入ってからのものが大多数を占めると思われる。旧但馬街道沿いには、重厚な豪商の建物と思われる家屋があり、母屋は黒漆喰壁で本卯建が揚がっていた。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 兵庫県の地名T 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1999年 |
国道312線沿いの日高町府市場の町並 |
国道312線沿いの日高町府市場の町並 |
国道312線沿いの日高町府市場の町並 |
国道312線沿いの日高町府市場の町並 |
国道312線沿いの日高町府市場の町並 |
日高町府市場の町並 |
日高町府市場の町並 |
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