千早赤阪村は大阪府の南東部で、金剛山系北西斜面の丘陵地。森屋は村内の北西端に位置し、村役場の置かれている所である。 江戸はじめは幕府領であったが、京都所司代役知、幕府領、山城淀藩領、戸田松平氏領、大給松平領、幕府領、大坂城代役知、、幕府領、三河西尾藩大給松平氏領、京都所司代役知、幕府領等を経て明治を向かえる。 石川郡の中核的位置を占め、米・木綿・菜種などの集散地であり、市が開かれていたが、慶長7年(1602)下流の大ヶ塚村にも市が開かれ争論が起こったが、月初めの10日を大ヶ塚が、残りの20日を森屋が行うようになった。 堺から富田林を通り水越峠を経て大和を結ぶ富田林街道が地内を通り、森屋で千早街道を分岐して千早峠を経て五條に至る交通の要衝であった。 延享ー寛延(1744〜51)頃のものと推測される石川郡24ヶ村明細帳によると、百姓役家66・無役家33・人数401とある。 今、集落内を歩くと、町場であった名残はないが、この地方の物資の集散地だった様子が伺える。農村集落には違いないが、伝統的な様式で広大な家屋が建ち並ぶ様はかっての繁栄の証でしょう。 なお、千早赤阪村は昭和31年に千早村と赤阪村が合併して成立した村で、村役場が森屋に置かれたもの。 大阪府の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1986年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 |
森屋の町並み |
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