たつの市新宮町新宮は播磨地方の西部、揖保川中流域右岸に位置する。 新宮村はもと、秀吉氏の蔵入地。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、姫路藩領。元和3年(1617)鵤(いかるが)藩池田氏領(新宮藩領)となり、寛文10年(1670)旗本池田氏領となり幕末まで続く。 元和3年(1617)の揖東郡郷帳では高666石余。元禄郷帳では高555石余。天保郷帳には666石余が記載されている。 新宮村の町場化したところが新宮町と呼ばれた。新宮町は美作道(出雲街道)の千本宿と觜崎宿(はしさき)の中間の脇道にあたっていた。美作道が東に向かい揖保川に達したところを新宮浜といい、その辺りを中心に新宮町とよばれ、物資流通の拠点となって賑わっていた。 揖保川を高瀬舟で龍野や網干方面に送られる荷物が、新宮浜に運ばれ、荷抜きが盛んに行われるようになった。觜崎宿からの再三の抗議にもかかわらず、ますます荷抜きで新宮町が栄えた。中でも大豆や油粕などは年間1千駄(1駄は約40貫)にも及んだ。龍野の淡口醤油原料の一翼を担った大豆は下蔵大豆といわれ、三日月方面から集積されて当地の蔵に預けられ、相場の高騰を待って新宮の商人により売却されたという。 他にも三日月方面から集積された材木や薪・炭が新宮浜で取引されて、文政年間(1818〜30)にはかなりの賑わいを見せていた。 新宮村の家数・人数は新宮町を含んで、天明3年(1783)家数118、うち武家分23、天明8年(1788)には家数133・人数519(うち新宮町分63・274)、天保9年(1838)家数125・人数471とある。 今古い町並は、美作道(出雲街道)が西から進んできて、揖保川に当たる辺りの旧新宮町を中心に展開していると云いたいが、殆どが建て替えられていて、伝統的な様式の家屋は極少なくなっている。写真を摂っていると、ある店のおばさんが出てきて、この家は180年前の家です。今は改装して看板も上げているが、以前の家はこのようなものと額に入った写真を見せてくれた。改装された間から見ると確かに古い形式の家だったが表からは全く見えなかった。 また前の道は、電車道というのですよとのこと、聞けば新宮軽便鉄道が通っていた線路跡だそうで、歴史ある町とは理解できるが、町並を構成する古い家屋は一部しか残っていなかった。 角川日本地名大辞典 千角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名T 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1999年 |
新宮町新宮の町並 |
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