多可町中区の町並み
中区中村町
地図


中区中村町の町並み

  多可町中区中村町は播磨地方の東部で、加古川の支流杉原川の中流域右岸に位置し、姫路街道筋に形成された町場。
慶長5年(1600)姫路藩領、寛永16年(1639)幕府領になり明治を向かえる。
正徳4年(1714)の村明細帳によると家数81・人数400・牛41。享保4年(1719)の村明細帳によると家数81・人数390。安永8年(1779)の村明細帳によると家数104・人数491・牛30。明治2年の村明細帳では家数100・人数414・牛30とあり、江戸時代を通じて家数・人数ともに大きく変化していない。
中村村は出作が多く、享保4年(1719)の中村村の石高320石余りに対して、出作では663石余りに達している。
農間余業では男は芝草薪取・塩売、女は布木綿織を行っていた。またこの村は豪農が多く、南畝家・奥村家などがあった。
天明9年(1789)の村明細帳では酒造株や醤油株もあり、廻米津出しは滝野河岸までは陸路、その後高砂湊までは川路、されに江戸・大坂へは海上路だった。
大正時代になり播州鉄道によって加古川〜西脇間が開通し、大正12年には西脇・鍛冶屋間が開業し、中村町・鍛冶屋の2駅が開設された。その後昭和18年には国が買収して、野村〜鍛冶屋間は鍛冶屋線となり営業されていたが、1990年に廃線となってしまい、今回訪ねた町並みの一角に駅名を示す標識が立てられていた。
また、この地では江戸期から播州織が有名で活発に行われていたが、明治期を迎え織機の改良と共に生産が急増した。特に明治38年に動力織機の使用は始まって以来、織布工場も急増し、明治41年には工場数6、織機数224台となっている。その後も経済界の好不況に左右されながらも発展を続け今に至っている。
また、この地は酒造米として有名な「山田錦」の産地として知られていて、多くの山田錦が作付されている。
江戸期から続くこの地方に中心地としての機能はそのまま今に継続され、中村町に多可町の町役場が置かれ、郵便局・派出所・商工会館・各種金融機関などが集まっている。
古い町並みと云えるほど、古い形式の町屋は残っておらない。それでも役場の南側に僅かの伝統的な建て方の町家が散見できた。
町並み指数 30
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
  兵庫県の地名U  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1999年          
  

中区中村町の町並み

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