吹田市岸部の町並み
岸部中3丁目・岸部中4丁目・岸部中5丁目
地図


岸部中3丁目の町並
 岸部は岸辺とも吉志部とも書いてそれぞれ使い分けられている。JRの駅名は岸辺駅。地名は岸部。神社は吉志部神社である。
吉志部遺跡からは先土器時代の土器が50点、縄文時代の石器78点が出土している。吉志部神社境内にある吉志部古墳は古墳時代の遺跡で、須恵器窯跡が10ヶ所程存在し、七尾瓦窯跡は難波宮の官瓦窯と断定され、国史跡に指定されている。
慶長10年(1605)の摂津国絵図では、中世以来の吉志部村の小村と見られる寺内・吉志部小路村・東村・南吉志部村などがあったことが判る。
元和初年(1615)の摂津一国高御改帳でも小路村・東村・岸部村・南村などの小村が連記されている。
吉志部南村は享保20年(1770)の摂河泉石高調では明和7年(1770)に家数41・人数201。吉志部小路村は嘉永2年(1849)の小路村宗門改帳によると家数124・人数515。
吉志部東村は享保3年(1718)の村明細帳控によると家数118・人数553。
吉志部七尾村は明和7年(1770)家数26・人数113。 
岸部村は明治13年の村誌によると、人数206人で、特産品は裸麦・米・小麦・大豆・菜種・綿・藁莚などであった。
明治22年に上記の5ヶ村が合併して岸部村になり、明治42年の家数383・人数2,315とある。
今回訪ねたのは岸部中3丁目〜岸部中5丁目である。古くからの農村集落の様相で、相対的に大きな家屋が多く、中には長屋門を構えた旧中西家(現吹田市立博物館)のような巨大な屋敷構えの家屋も散見できる。古くからの農村集落だから、集落内の道は細く、直角に曲がった所も多く、軽自動車がやっと通れる程度の道ばかりだが、古い集落の中に新しく建て替えられたり、分割しての分譲住宅が建ったりと、徐々に古い農村集落が蝕まれて行くようようだ。
町並み指数  30
参考文献
   大阪府の地名U  平凡社  平凡社地方資料センター  1986年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58


岸部中3丁目の町並

岸部中3丁目の町並

岸部中3丁目の町並

岸部中4丁目の旧中西家の長屋門

岸部中5丁目に茅葺き民家

岸部中5丁目の民家の長屋門

岸部中5丁目の町並

岸部中5丁目の町並

岸部中5丁目の町並

岸部中5丁目の町並
古い町並へ戻る