吹田市片山町の町並み 
片山町三丁目
地図


片山町三丁目の町並

 片山村は今では吹田市に入っているが、江戸時代は吹田村の北に隣接していて、千里丘陵南東部に位置し、標高50m前後の起伏のある丘陵地である。
慶長10年(1605)の摂津国絵図に村名がみえ、元和年間(1615〜1623)は幕府領。寛永2年(1625)京都所司代役知、寛文9年(1669)からは山城淀藩領でそのまま明治を向かえた。
明和7年(1770)の島下郡十三箇村宗門改惣人数一紙目録では家数171・人数780であり、明治9年の人数は813人、明治22年には850人である。
南の吹田村が全体に平坦な地形で南北に亀山街道が通り、淀川水系の舟運基地として栄え、江戸中期と推定される村明細帳では、家数831・人数3,186で酒屋や油屋などの商家が71軒もある町場の性格を有していたのとは対照的に、片山村は純農山村だったようだ。
今、旧片山集落の中を歩くと、細いくねった道は昔のままで、軽自動車も通れないような江戸時代や明治時代の道が多いが、畑だった農地には住宅が建ち並び、かっての農村集落はその中に埋没してしまったようで、所々に元農家だったと思われる大きな家屋が点在していた。
駅から歩いて10分足らず、大都会に近い位置に立地している丘陵地。開発が大きく進まないのは旧集落内は道路の問題だろう。でも個別にはどんどん建替えられたり、新築されていて昔の面影は道路にしか残っていない。
片山町三丁目の町並全てから、JR吹田駅前の大きなマンションとアサヒビールの吹田工場が壁のように立ちはだかっている風景が見られ、古い町並がなくなるのは時間の問題でしょう。
町並み指数 20
参考文献
   大阪の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1986年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  


片山町三丁目の町並

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