宍粟市波賀町上野の町並
波賀町上野
地図


波賀町上野の町並

 宍粟市波賀町上野は兵庫県中央西部寄り、揖保川支流引原川の左岸に位置する。
旧因幡街道(現国道29号線)に沿った集落である。
江戸期はじめは姫路城主池田輝政の支配を経て、山崎藩領、延宝7年(1679)幕府領、文政6年(1823)上野館林藩領、天保元年(1830)幕府領となり幕末に至った。
慶長国絵図に「上ノ村」とみえる。正保郷帳では村名に「曳原之上野村」と肩書きがあり、田方331石余・畠方84石余。下村氏手控帳によると寛文〜延宝頃(1661〜81)には家数48・人数299、馬34・牛75とある。
当地は砂鉄の産地で、鉄穴師に従って農民は冬季の農間稼ぎとして「かんな流し」に従事した。
また、深山地域を持つ当地には日用雑貨を作る木地師が多く居住していた。
集落東の城山に、中世の上野城(波賀城)跡があり、近年復元されて資料館などに利用されている。上野城は弘長年間(1261〜63)に芳賀七郎が築城し、13世紀中頃から戦国時代末期まで播磨国の中村氏が城主として拡張した山城で、因幡街道を抑える要所に拠ったもの。
今、旧因幡街道沿いをあるくと、古い町並が僅かに展開している。宿場町や在町としての資料はないが、町の様相を見ると明らかに小さな宿場町・在町としての機能を持っていたと推測される町並である。
伝統的な様式で建てられた家屋の連続性も見られる町並。赤瓦と黒い瓦の入り混じった町並と思って訪ねたが、赤いトタン屋根の家屋が多く、街道に面して間口の広い商家形式の家屋が多かったのも、街道の往来に依存する営みを生業としていた証と思える町並だった。
町並み指数 30
参考文献 
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
  兵庫県の地名T  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1999年

波賀町上野の町並

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