宍粟市波賀町鹿伏の町並
波賀町鹿伏
地図


波賀町鹿伏の町並

 宍粟市波賀町鹿伏は兵庫県中央西部、揖保川支流の引原川の上流域引原ダム湖の最北部に位置する。
江戸期はじめは姫路城主池田輝政の支配を経て、山崎藩領、延宝7年(1679)幕府領、文政6年(1823)上野館林藩領、天保元年(1830)幕府領となり幕末に至った。
正保郷帳に村名が見え、田方5石余・畑方69石余。下村氏手控帳によると寛文〜延宝(1661〜81)には家数26・人数156、馬5・牛12とある。明治24年の家数14・人数120。
この地は砂鉄の産地で、鉄穴師に従って農民は冬季の農間稼ぎとして「かんな流し」に従事していた。また多くの木地師が住み日用雑貨を作っていた。
訪ねた古い町並は、旧因幡街道(旧若桜街道) に沿った町並。国道29号線がバイパスとして旧街道の西側を通ったので、町並はチルド保存された状態で、古い町並を形成している。
この地でもトタン屋根の家屋が多い。
町並み指数 30
参考文献 
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
  兵庫県の地名T  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1999年

波賀町鹿伏の町並

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