堺市北部の町並み 
北旅籠町西・北半町西・桜之町西・桜之町東・錦之町東・九間町東・神明町東
地図


北旅籠町西の鉄砲鍛冶屋敷井上家
 堺市の歴史については今更ここで解説する必要もないくらいによく知られ、いろんな文献も発行されているので、歴史解説については、詳しくは記載しません。
現堺市の北西部は小さな海辺の集落に過ぎなかった。背後地として和泉・河内の農村部が控え、長尾・竹内両街道で大和地方と繋がる地理的な有利性が堺の発展を支える条件となった。
堺は南北朝内乱期には軍事物資の輸送発着地として発展し、応仁の乱で大内政弘の勢力下にあった瀬戸内海の航行と兵庫津を避けた遣明船は、四国の南を迂回して堺に発着したので、堺は兵庫津に代る貿易船の発着地となり、勘合貿易の利益や出入り船舶の関税、高利貸を営む土倉・納屋・問丸の存在によって経済基盤は強まり、日本有数の商人町として成長した。当時、南蛮船は九州平戸や長崎に来航したため、堺商人は船団を組んで九州よりの輸送を行った。
天文12年(1543)に種子島に伝来した鉄砲は数年後には堺で製造が始められ、この地は全国一の鉄砲の量産地となった。
堺は応永26年(1419)から納屋貸10人衆と呼ばれる集団によって行政にあたりだし、後に会合衆36人衆と呼ばれる合議集団として行政にあたった。環濠が整備されのはいつであるかははっきりしないが、強力な自治組織と環濠を備えた自衛都市堺が出来上がっていった。
巨大な冨を蓄えた堺の豪商たちも、頼みの綱とした三好三人衆が永禄11年(1568)信長に破れ四国に敗走したため、堺も永禄12年(1569)に織田信長の軍門に降り、その自治の伝統も消えた。
江戸時代になり豊臣氏の浮沈をかけた大坂の陣では、殆どが焼失してしまったが、復興は幕府の手によって進められた。当時の元和(1615〜24)の町割り絵図は残っていないが、元禄2年(1689)に作成された精密な大絵図や一部の元和3年(1617)・寛文5年(1665)の古地図が残されている。この絵図は第2次世界大戦前の旧市街地図と殆ど変わっていない
この元和の町割りでは近郊の農民を最東部に集めて農人町をつくり、、その西側に旧市内に点在していた大寺院を集めて寺町をつくった。市街の区画は大小路と大道(紀州街道)を直行させ、各々並行させて一区画南北60間・東西19〜23間として長方形の基盤型に町割りされた。この町割りは今旧市街の町並を歩いても大きく変わっていないようだ。
寛永13年(1636)に鎖国令が強化され、貿易港も長崎のみとなり、海外貿易港として発展していた堺の地位も低下した。しかし輸入生糸の割符の割当は京都・長崎の100丸に対し、堺は120丸と優位に配分され、輸入生糸では優位な立場であった。
貿易港としての堺の地位は低下したが、堺は江戸時代になり伝統的な産業が隆盛を極めた。それは中世以来の堺鉄砲や刃物は代表的な産物であった。堺鉄砲は幕府や諸大名による御用鍛冶として、刃物は庶民の生活に欠かせないものとなった。鉄砲は明暦3年(1657)には諸国から4,535挺の注文があり、桜之町・綾之町中浜筋に工場が多くあった。堺包丁は乾燥した煙草を刻む包丁として全国的に名が通っていた。
また大和盆地の幾つかの河川が合流する旧大和川は生駒山地・金剛山地の間を流れ石川と合流し、幾筋にも分かれて中河内を潤していたが、古代よりしばしば水害を発生させていた。宝永元年(1704)新大和川の付け替え工事が完成し、水害の危険性が少なくなったが、新大和川から搬出される土砂が河口に堆積し、堺港の機能は著しく低下した。寛政3年(1791)には堺港の改修工事が実施された。この工事によって今も残る旧堺港の原型が出来上がった。
戦災によって堺市の大多数は焼けてしまったが、旧市街の北部大和川近くの町は焼け残った。北御旅町・桜之町・綾之町・錦之町・九間町などに古い町並が幾ばくか残っている。鉄砲製造業は当然残っておらないが鉄砲鍛冶屋敷の井上家の建物が健在であった。今でこそ海岸から遠く離れた場所になってしまったが、江戸時代初め頃は、この辺り一帯は砂浜で鉄砲の試射が行われていたそうだ。
今、政令指定都市指定に向って努力されているような大都会の一部に、この様な古い町並が厳然と残っていることに驚かされる。指定都市に向って進むのもいいが、この町並を保存し次世代に残すことも考えてもらいたいものだ。
町並み指数 50
参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名編纂委員会  昭和58年
   大阪府の地名U  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1986年
   大阪府の歴史散歩下  山川出版社  大阪府歴史散歩編集委員会  1990年   


北旅籠町西の町並

北半町西の町並

北旅籠町西の町並

北旅籠町西の町並

桜之町西の町並

桜之町東の町並

錦之町東の山口家住宅(国重文)

九間町東の町並

神明町東の町並
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