鶴橋商店街の北側に戦災で焼けなかった地域がある。古い町並が残っていないかと訪ねた。東小橋村は江戸時代を通じて「木野村」の中に含まれて東小橋村となったのは明治17年以降である。しかし、地内の比売許曾神社には慶長12年(1607)の検地帳が蔵され、延宝5年(1677)の木野村検地帳にも「東小橋」の村名が見えるので、かなり早くから小村ながらまとまっていたと見られる。 木野村は平野川・猫間川の氾濫原から上町台地麓にかけての水田地帯で、集落は平野川左岸の自然堤防上に形成されていた。東小橋は木野村の北部の名称であり、猫間川と暗越え奈良街道の交差する辺りであった。 地内に創建年代不詳の比売許曾神社があり、神社への参拝者で小橋千軒と言われて賑わっていた所と言われている。 東小橋村は明治24年には家数42・人数261とあり、東西3町・南北6町であった。 第2次太平洋戦争の戦災で焼け残ったこの地域には多くの古い伝統的な家屋が残っていた。 広い通りに面しては大阪形式の看板建築が連なっている。建築年代は大正から昭和初期の建物だろう。そして町中の細い道に沿っては袖壁を備えた町屋や虫籠窓を備えた漆喰塗り込めの町屋も散見できた。土蔵も町中のあちこちに点在して、戦災で焼け残った町としての印象を深める。 大阪府の地名U 平凡社 平凡社地方資料センター 1986年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58 |
東小橋3丁目の町並 |
東小橋3丁目の町並 |
東小橋2丁目の町並 |
東小橋3丁目の町並 |
東小橋3丁目の町並 |
東小橋3丁目の町並 |
玉津2丁目の町並 |
玉津2丁目の町並 |
玉津2丁目の町並 |