江戸時代の福島村は上福島村(現在の福島区福島1〜8丁目・玉川1〜2丁目・吉野1丁目・北区堂島3丁目)と下福島村(現在の福島区玉川1丁目・3丁目・野田1〜2丁目・同4丁目)に分かれていた。 大坂からの町続きとなるこの上・下福島村は町場化していて、淀川河口部にあたる交通の要衝であった。 淀川は下福島村近くで堂島川と土佐堀川が合流した後、再び二流となり、一方は木津川・尻無川として九条島に沿って東南に流れ、一方は西へ曲流して伝法川となり海へ流れていたため排水が悪かった。貞享元年(1684)幕命により河村瑞賢が九条島を掘って河道を真っ直ぐに大阪湾に通じた。これが安治川である。安治川の両岸には新地が形成された。 安治川の開通以来、大坂に入津の船舶は安治川橋付近に停泊するようになり、安治川筋一帯が繁栄した。安治川開削後、諸国の廻船は同川をさかのぼり、安治川橋付近に停泊し、米・薪・酒・反物問屋・油卸商や各種の問屋がいた。茶屋株・風呂屋株・湯屋株などが許可され遊所としても繁栄した。 今古い町並が残る福島2丁目・5丁目でも、明日にでも取り壊されて、半年後には大きなビルになっていても不思議でない地域で、風前の灯のような町並でした。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名T 平凡社 平凡社地方資料センター 1999年 |
福島2丁目の町並 |
福島2丁目の町並 |
福島2丁目の町並 |
福島2丁目の町並 |
福島2丁目の町並 |
福島5丁目の町並 |
福島5丁目の町並 |