ここには海老江7〜8丁目の写真を掲載していますが、海老江村は海老江1丁目から8丁目・大開3丁目〜4丁目、淀川を隔てた西淀川区柏里1丁目〜2丁目、花川1丁目〜2丁目・姫里1丁目の範囲であった。集落は村の中央部の海老江3丁目・4丁目・6丁目・7丁目・8丁目辺りと 北西部の海老江新家(鼻川新家)の小集落からなっていた。 享保9年(1724)の村明細帳によると家数206・人数1,109とある。 海老江村は明治29年から始まった淀川の大改修で、中津川流域に新淀川が開削された。このために海老江村の北部90町余りが新淀川の河床となり、海老江村は分断され、海老江新家は淀川の北岸になってしまった。 この辺りも戦災の被災を免れた地域で、海老江7丁目・8丁目辺りには古い伝統的な様式の家が残っている。路地のような狭小な道に伝統的な家屋が連なっている。 7丁目には石畳の古い町並が残っている。建築様式から見て大正時代末期から昭和初期に建てられた長屋形式の借家群だが、その中の通路が石畳の道になっているのです。 建築当時は斬新なアイデアの現代で言う団地だったと思います。 海老江7丁目や8丁目では、あちこちで長屋形式の古い連棟家屋が多く残り下町情緒を醸しだしているのが町の特徴のようだった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名T 平凡社 平凡社地方資料センター 1999年 |
海老江7丁目の石畳の町並 |
海老江7丁目の石畳の町並 |
海老江7丁目の町並 |
海老江7丁目の町並 |
海老江7丁目の町並 |
海老江7丁目の石畳の町並 |
海老江7丁目の町並 |
海老江8丁目の町並 |
海老江8丁目の町並 |
海老江8丁目の町並 |
海老江8丁目の町並 |
海老江8丁目の町並 |