大阪府の最南端が岬町であり、その最北部に淡輪が位置している。 南海電鉄経営のみさき公園があることで有名ですが、この地の風光明媚なことに目をつけた南海電鉄は明治40年に愛宕山一帯に淡輪遊園を開園して乗客誘致を計り、その事業は平成15年まで続けられていたが、今はみさき町が引き継いでいる。 淡輪集落の南部を孝子越え街道(現国道26号線)が通っている。 江戸はじめは和歌山城代桑山氏領から幾多の変遷を経て、貞享元年(1678)から常陸国土浦藩領となり明治に至った。文久2年(1862)から土浦藩の陣屋が置かれた。 深日村・谷川村と共に瓦の産地として名を馳せていた。 明治7年の一村限調帳によると家数420・人数2,054、漁船61艘で産物は米・麦のほか薩摩芋・菜種・青石・瓦などがあった。 愛宕山一帯に開発された淡輪遊園は汽車ホテル・ツツジ祭り・海水浴・魚釣り・潮湯温泉などが呼び物であった。第2次大戦前は淡路島洲本への連絡船も当地から出航しており、料理屋・旅館の並ぶ泉南一の行楽地であった。 淡輪集落の歴史を調べることなく訪ねると、漁村??・農村??街道町??とどれにも当てはまらない集落でした。豊な農村集落のように家屋が重厚で大きいが、その割りに農業に適するように庭が広くない。漁師集落とすると、家が大きく重厚すぎるが、まあ漁村集落に近いと思いながら歩いていましたが、町並の成り立ちは歴史要素が一番大きいと言う認識を新たにした町並でした。 大阪府の地名U 平凡社 平凡社地方資料センター 1986年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58 |
淡輪の町並み |
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