南あわじ市湊の町並み

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湊の町並
 湊のこの辺りは江戸時代から続く瓦の生産が盛んなところである。
慶長15年(1610)池田忠雄領、元和元年(1615)からは阿波国徳島藩領となる。江戸初期に湊村は湊里村と湊浦に分けられた。江戸期の湊港は大坂に送る藩米の積み出し港で番所と制札場が置かれていた。慶安2年(1649)の棟数人数船数御改帳では棟数94・人数男158。うち加子役御用66、船数36とある。「味地草」によると高527石、家数325・人数878で加子役59人負担に対して、北は都志角川(五色町)からみ並は阿那賀丸山までの広い海域の漁業権を藩から与えられていて、ボラ網漁が盛んであった。そして当地は三原郡西部第一の商業地であった。
明治24年では家数461・人数2,424。昭和3年の家数536・人数2,680で職業別家数は農業133、工業51、商業182、水産業65、交通30、公務・自由業29、その他46とあるが、里組は殆ど農業であり、湊組は商業・水産業・海上交通が多かった。
明治期には大阪〜四国間を運航する大阪商船(のちの摂陽商船)が湊港に寄港するようになり、湊周辺は大いに発展した。しかし今は僅かな貨物船と漁船の港となっている。
今、町並みは明治時代の繁栄していた面影を残して静かに佇んでいる。今でも商業地の様相で、大きな商家の建物も残っていますが、国道筋の大型店舗に人が流れ、殆どの店は仕舞屋になっていた。 
町並み指数 30
参考文献 
  兵庫県の地名T  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1999年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年

湊の町並

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