河内長野市長野は大阪府の南東部に位置し、和歌山県と奈良県に接する丘陵地の町で、古くから高野山へと向かう交通の要衝であった。 長野の江戸時代ははじめ旗本東条氏知行、寛永8年(1631)幕府領、寛永11年(1634)近江膳所藩領、延宝7年(1679)西代藩本多氏領、享保17年(1732)からは伊勢神戸藩本多氏領で幕末を迎える。 生駒山の西麓に沿った東高野街道と、堺を基点とする西高野街道が、長野神社の北で合流して、高野街道となって南の三日市宿へと続く。平安時代から高野詣でに利用されていて、この合流点辺りが町場となり発展していた。 宝永2年(1705)の村明細帳によると村の東西52間、南北5町2間と南北に細長い町で、高野街道に沿って町並みが伸びていて、家数150・人数664。宝暦6年(1756)の人数は478、宝暦13年(1763)の家数105、文政8年(1825)の家数73と家数・人数共に減少しているのは、南に続くの三日市の繁栄による影響だろう。 河内では綿作が最大の商品作物であるが、山間部に立地する河内長野では綿作が少なかったようだが、当長野での綿作については不明である。 今回訪ねた町並みは、長野神社の北側から三日市宿近くまでの旧高野街道を歩いたが、古い町並みとして残っているのは、長野神社近くの造り酒屋さん周辺だった。 町並みと云っても造り酒屋さんの建物ばかりで、杉玉が揚がった建物ばかりが目に付いた。 その他の地域では、古い様式の伝統的な建物は点在するが、町並みにはなっていないのが残念だった。 大阪府の地名U 平凡社 平凡社地方資料センター 1986年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58 |
長野町の造り酒屋 |
長野町の造り酒屋 |
長野町の町並 |
長野町造り酒屋 |
長野町の造り酒屋 |
長野町の造り酒屋の町並 |
喜多町の町並み |
喜多町の民家 |
長野町の民家 |
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