河内長野市三日市町の町並み
三日市町
地図


河内長野市三日市町の町並

 三日市では古く三齋市が開かれていたというが、江戸時代になると高野街道の宿場として発展した。
江戸時代を通じて幕府領および近江膳所藩領で享保19年(1734)の村々高帳では、幕府領219石余・膳所藩領84石余であった。宝暦10年(1760)の家数215軒の内幕府領183軒・膳所藩領32軒であった。
高野街道の宿駅でこの地から山間に入るため宿場として賑い、旅宿が軒を連れね、河内縞の着衣に忍染の施襴姿の遊女が袖を引いていたという。
今、三日市の古い町並は旧高野街道に沿って展開している。南海電車高野線三日市駅前にも古い町並があったのだが、今、駅前再開発の工事中で、古い町が全て取り壊され、大きな敷地を工事用のシートが覆っていた。
旧高野街道沿いの古い伝統的な家屋は、中2階建てで平入り、虫籠窓を備えた商家の建物と、街道から少し引いて建てた、農村集落の建て方の家が混在している。
自然発生的にできたであろう湾曲した街道を歩くと、かって高野山へと向かった人々が通った道や町は、駅前と云えども静かな佇まいを呈していて、全くの住宅地になっていた。
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参考文献
   大阪の地名  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1986年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会


三日市町の町並

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