加東市上滝野の町並み
上滝野
地図


上滝野の町並み
 加東市上滝野は播磨地方の東部、加古川中流域の右岸に位置し、景勝地の闘竜灘の西側である。江戸期初めは滝野村であったが、寛永5年(1628)に上滝野村と下滝野村に分村したという。江戸時代を通じて姫路藩領。
寛延3年(1750)の村明細帳によると家数192、人数908・高瀬舟30とある。
文禄3年(1594)から始まる加古川舟運の拠点・中継点で滝野船座が設けられていた。当時加古川とは云わず、闘竜灘の以北は田高川といい、以南は滝野川といった。その田高川舟運と滝野川舟運を結ぶ中継地で、闘竜灘が在るため、船荷を一旦積み変えねばならず、荷宿や多くの舟持ち、仲買が軒を連ね活況を呈した。延宝3年(1675)には両滝野村で、荷宿7軒、舟持ち34人もいて、丹波と東播磨の年貢米を中心とした物資を運んだ。
明治に入って船座が廃止されて、舟運は更に活況を呈したが、大正2年の播州鉄道の開通でその役割は終わった。
闘竜灘を中心とする滝野川の鮎漁法は、鮎の習性を利用した独特な漁法で、滝株をつくって川役税や汲鮎税を上納し、滝野村専用の漁場としたので、漁師・船頭が多く、鮎を中心とする収益の多い漁であったため、常に近隣諸村との紛争が起こっていた。
今、上滝野に残る古い町並みは、加古川の西側(右岸)に沿った道に展開している。かっての街道筋と思われる道の両側に古い屋並みが残っている。幾つかは闘竜灘を臨む風光明媚な場所のため、料理旅館になっているが、古い町並みが残っていると評価できるだろう。町並みは平入り妻入り、切り妻造り入母屋造り、中2階建てや2階建てが入り混じっている。白漆喰塗り込めの虫籠窓を備えた家屋も残っている。
町並み指数 40
参考文献
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
  兵庫県の地名U  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1999年
  兵庫県の歴史散歩下  山川出版社  兵庫県高等学校教育研究会  1996年 
  

上滝野の町並み

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