交野市寺は大阪府北東部に位置する交野市域の中心地より少し北東、生駒山系竜王山の北西麓に位置している。 地名は古代寺院の存在に由縁するものと思われ、河内徳泉寺と関係するかもしれないと推測されているが、交野市史によると、大昔は「てるは村」といい、それが転訛して「てら村」となったという。 江戸時代、村高のうち28石余りは石清水八幡領、312石余りは寛永10年(1633)山城淀藩領、元禄7年(1694)幕府領、宝永元年(1704)上野沼田藩本多氏領、享保15年(1730)幕府領、文久2年(1862)からは京都守護職役知で幕末を迎える。寛政元年(1789)家数69。明治9年の人数303とある。 集落は生駒山系の山裾の比較的平坦地に位置していて、河内と大和を結ぶ「かいがけの道」の入り口に発達した集落なのです。中央部の正行寺を取り囲むように集落が形成されている。大きな屋敷に伝統的な様式の広大な家屋を構えた家が多い。中でも国の重要文化財に指定されている山添家住宅は、宝永2年(1705)の棟札を持つ茅葺き屋根の大きな家屋である。 大阪府の地名U 平凡社 平凡社地方資料センター 1986年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58 |