交野市私市の町並み 
私市三丁目
地図


私市三丁目の町並
 ここ私市村は京都と大阪のほぼ中間に位置し、村の中央を天の川と平行する磐船街道が通り、古くから交通も発達していて、枚方宿にも近く開けた農村であった。
寛永10年(1633)、大坂町奉行・山城淀藩永井氏と相給になったが、その後旗本越智氏知行、幕府領、上野沼田藩本多氏領、京都守護職領となったりした複雑な領主関係のまま明治を迎えている。明治9年の人数は592人であった。
私部村・倉治村など共に私市村も江戸時代には、農業生産の中心は稲作であったが、綿・菜種・麦・煙草などの換金作物が栽培されていた。元禄4年(1691)私部村の明細帳によると、当時すでに油粕・干鰯・綿実・などの購入肥料の利用が一般化されていた。
また、農村産業として酒造・絞油・素麺製造などが展開されていた。菜種栽培も盛んで絞油業も栄え、素麺製造も盛んに行われていたようだ。
また、明治初年からこの地方でも、養蚕が盛んになり、当初繭は主に長野県に出荷されたが、この地でも製糸業がはじまり、後に原田織機会社に発展し、独自の動力織機の開発により、織機製造も行われ、泉州の綿布・タオル機業・滋賀県の蚊帳機業に大きな貢献をした。
今、古い町並は私市3丁目で見られ、門構えの入り母屋造り・板塀・白漆喰の重厚な建物が連なる。街道筋の町並で無いから、豪農だった当時の家・屋敷が今に残っているのだろう。
建て方から見て、殆どの建物は明治に入ってからと思われるが、江戸時代の建物も、昭和に入ってからの建物も多くあるようだ。
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参考文献
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名編纂委員会  昭和58年
   大阪府の地名U  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1986年   


私市三丁目の町並

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