加西市北条町横尾の町並
北条町横尾
地図


北条町横尾の町並
 加西市横尾は播磨地方の東部、加古川の支流万願寺川の更に支流の下里川の左岸に位置する。酒見寺や住吉神社の門前町として、又、播磨地方と丹波・丹後・但馬方面への街道筋の宿場町・商業町、更には陣屋町としても古くから町場を形成していた北条に続く丹波街道(横尾街道)沿いの町並。
横尾村は慶長5年(1600)姫路藩領、元和3年(1617)姫路藩支藩赤穂藩領、寛永16年(1639)幕府領、貞亨3年(1686)相模国小田原藩領、延亨4年(1747)からは徳川三卿の田安家領。村高は「正保郷帳」385石余、「元禄郷帳」385石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに386石余。
明治9年の家数117・人数481、明治13年の家数124・人数516とある。
この地は北条と同様、北条に置かれた徳川三卿の田安家の陣屋町、在郷町として発展していた。当時の面影が残る伝統的な商家の建物が、北条に続いて各所に連続して残っている。
伝統的な商家の建物は切り妻造り、中二階建て、漆喰塗り込めの虫籠窓であり、かっては本瓦で葺かれていただろうが今は殆ど桟瓦葺きになっていた。袖壁も各所に見られる。一階の千本格子もガラス窓に、中二階の虫籠窓も多くはガラス窓に改造されてたが、一部虫籠窓を残した家も見られた。
北条から続く横尾の町並の初めに、水田家と高井家が向かい合って建っている。共に国の登録有形文化財に指定されていて、水田家は公開されていた。水田家は大正11年、高井家は嘉永4年(1851)に建てられたもの。2軒とも平入切妻造りの中2階建てだが、高井家の方が中2階でも背丈の低い建物だった。そして高井家は虫籠窓がそのまま残されていた。
横尾の町並み保存には力が入っていて、「横尾歴史街道みてあるき」と言う小冊子を制作して、古い町並の広報に努められていて、好感を持っての町並歩きだった。 
町並み指数 50
参考文献       
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名辞典編纂委員会  昭和63年
  兵庫県の地名U   平凡社   (有)平凡社地方資料センター   1999年

北条町横尾の町並

北条町横尾の町並

北条町横尾の町並

北条町横尾の町並

北条町横尾の町並

北条町横尾の町並

北条町横尾の町並

北条町横尾の町並

北条町横尾の町並

北条町横尾の水田家

北条町横尾の高井家

北条町横尾の町並
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