神崎町粟賀町・中村は共に但馬街道沿いに発達した町である。近世は宿場町として賑わい、生野銀山の産銀もここを通って姫路を経由して大坂に送られていた。 江戸時代ははじめ姫路藩領、寛文3年福本藩領、寛文6年旗本池田氏知行となり、慶応4年再び福本藩領となり明治を迎えている。 享和2年(1802)5月8日、粟賀村の河内屋伝右衛門宅に一宿した菱屋平七は「粟賀の駅(中略)、人家百四五十軒、仏霊といふ銘の茶を出す、茶屋・宿屋あり」と記し、翌九日駅を出て板橋を渡り上粟賀村へ向かっている。 同村にも茶屋があり、200軒ほどの人家があった。(「菱屋平七長崎紀行」) 今町並は旧但馬街道に沿って、粟賀町から中村にかけて展開する。切妻造り又は入り母屋造り平入り、中2階建ての伝統的な様式の町家が軒を連ね、農村集落とは異なった宿場町の面影を色濃く残した町並が残っている。 建物は明治時代から大正時代にかけて建てられたものが多いようだ。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名T 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1999年 |
神崎町中村の町並 |
神崎町粟賀町の町並 |
神崎町粟賀町の町並 |
神崎町粟賀町の町並 |
神崎町粟賀町の町並 |
神崎町粟賀町の町並 |