神河町中村・粟賀は播但地方の中部、市川の支流越知川と猪篠川の合流点の左岸(東岸)に位置する。 江戸期はじめは姫路藩領、寛文3年(1663)福本藩領、寛文6年(1666)旗本池田氏知行、慶応4年(1868)福本藩領となる。村高では、中村は「正保郷帳」414石余、「天保郷帳」475石余、「旧高旧領」480石余。粟賀は「正保郷帳」276石余、「天保郷帳」306石余、「旧高旧領」321石余。 古来から播磨と但馬を結ぶ駅路の要地で、中村・粟賀村の村内を生野街道(但馬街道)が通り、古くから開けた土地であった。 享和2年(1802)に粟賀村の河内屋伝右衛門宅に一泊した菱屋平八は「粟賀の駅(中略)、人家百四五十軒、仏霊と言う銘の茶を出す、茶屋・宿屋あり」と記し、粟賀村には茶屋があり200軒ほどの人家があったという。生野街道に沿って粟賀から中村にかけて町場が形成されていたのだろう。 今も、当時の町並がそのまま残ったような町並が続く。平入で切妻造りや入母屋造りの中2階建ての建物が連なる。中には煙出しを残した造り酒屋の建物も残っている。 でも、宿場町や在郷町の雰囲気でなく、街道筋の農家集落とでもいうような感じの集落だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名U 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1999年 |
粟賀の町並 |
粟賀の町並 |
粟賀の町並 |
粟賀の町並 |
粟賀の町並 |
粟賀の町並 |
粟賀の町並 |
中村の町並 |
中村の町並 |
中村の町並 |