村岡は但馬地方の北部に位置し、スキー場の神鍋高原とハチ北高原の間ある冬季の積雪が多い所である。 関ヶ原の戦いで功績のあった山名豊国が福岡村に陣屋を築き、三代目矩豊が寛永19年(1642)福岡村から黒野村の尾白山西方に陣屋を移して村岡村と改めた。この陣屋を中心として城下町が形成され、以後当地は七美郡の政治・経済の中核として繁栄した。 陣屋は当初昆陽川の左岸、尾白山西方の平地に置かれた。陣屋の周辺は家臣団の居宅が並ぶ武家屋敷地で、町人や百姓の居住地を在郷と呼んで区別していた。 文化3年(1806)陣屋は尾白山山腹に移転、以後安政年間(1854〜60)にかけて武家屋敷地の御家中(後の殿町)、町人居住地の本町(東町)、百姓居住地の在郷中(西本町)に区分する町割りが行われた。町家は西側に昆陽川、南側に湯舟川を利用した外堀で守られていたが、山陰道を町中に取り込んだため、町の両端で枡型の折れ目を造った。 古くから米作を中心に薪炭作り、和牛飼育、養蚕などを産業としてきたが、冬季の積雪が多いため、酒造、凍豆腐の製造に出稼ぎに行く者が多かった。特に但馬杜氏は有名である。 今、古い町並みは旧山陰道に沿って展開している。平入り切り妻造りの2階建ての町並みだが、中には本卯建を備えた家屋も見られる。この本卯建は但馬地方に多いが、防火の目的よりも装飾としての要素が大きいようだ。 街道に沿って大型の建物も混じる町並みで、建てられたのは明治に入ってからの建物で、明治・大正・昭和の建物だが、建築様式は古い伝統的な様式を取り入れた建物が多く、陣屋町時代の伝統がうけつがれているのが判る町並みであった。 兵庫県の歴史散歩上 山川出版社 兵庫県高等学校教育研究会 1996 神戸市史 神戸市 神戸市史編纂委員会 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 |
村岡区村岡の町並 |
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