太平洋戦争の戦前・戦後に多くあった企業の社宅群。特に紡績関係の社宅が日本全国津々浦々に点在していたと思うが、気がつけば既に大多数は取り壊され、再開発されてしまった。 そんな中で、紡績工業の隆盛を物語る、このニッケ加古川社宅群は昭和初期の姿を今に伝えている歴史的な文化遺産で貴重な存在と思って訪ねた。 ニッケ(日本毛織株式会社)は加古川で誕生して100年以上の歴史をゆうする東証一部上場会社だ。 この町並みは社宅だから、当然のことながら土地や建物は会社ものも、町全体を会社が管理しているのである。町並みの入口に関係ないものは入らないで下さいとか、散歩等での立ち入りはご遠慮下さいとの表示がされている。 何か掲示をする場合でも、会社の総務まで連絡せよとの案内もある。町並みをあるいて一番気になったのはこのことで、やはり社宅だなあと。 この社宅の土地は多分大正期に、田んぼであったところを埋め立てて造成され、住宅を建てたものと思う。いつ頃建てられたのかは、個々の建物によって異なるだろうが、大正後期から昭和初期に建てられたものが大半を占めるようだ。 戸建もあれば平屋の長屋もある。洋風で木造の近代建築もあれば、和風の2階建ての戸建住宅もある。2階建ての長屋もある。板塀もあればレンガ塀もある。中心部には「ニッケ社宅クラブ」がある。コミューニセンターか公民館的な役目をしたのだろう。その横には購買部のようなものがあり、物品を販売していたのだろうと思われる。 役職の違いにより、住む住宅が異なったと思われる。中にはレンガの煙突を備えた洋風の木造建物もあり、一見して幹部の住む家と判る建物もある。 道路も中央を貫通する幹線道路以外は舗装されておらず、昔ながらの地道であり、昔懐かしいと思うと同時に、草引きだけでも大変だと住民に同情した。 この住宅街では殆どの所が板塀で一部レンガ塀もある。今では日本全国、板塀もレンガ塀も殆ど見られないが、ここではそれが当たり前として設置されている。 この町並みはどの観点から見ても、完全に昭和初期の町並みだ。土の道路、板塀、レンガ塀、木造平屋の長屋、2階建て長屋、壁部分が少ない板張りの家など、昭和初期の町並みがそのままここに残っている。 今、古い町並みで電柱の撤去の問題も大きい。電気だけなら大して邪魔にならないが、電話もあるし最近はケーブルテレビや有線放送の電線と、空を見ると電線ばかりになっているが、この社宅では電気の線はあるが、空いっぱいの電線がなく、スッキリした空を見られた。 ただ、今の状況から、この社宅がいつまで続くかは不明で、本体のニッケ加古川工場が大幅に縮小されていることから見ると、再開発で取り壊されるのも遠い将来じゃないように思う。 |
社宅の町並み |
社宅の町並み |
社宅街の社宅クラブ |
社宅の町並み |
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