姫路市家島町坊勢は姫路市飾磨区から南西へ海上20km隔てた播磨灘中央に浮かぶ家島群島の中の一つの島である。 家島は古くから瀬戸内海を航行する船舶の避難所的な要港であって、万葉集にも登場している。 江戸時代は姫路藩領。当初宇佐崎組大庄屋の支配下に置かれたが、のち高島氏が大庄屋となった。 「天保郷帳」「旧高旧領」は家島として記載されている。寛永16年(1639)姫路藩主松平忠明の時、家島の真浦に番所が置かれ海上の警備にあたり、榊原忠次の時には航行の安全を図るために常夜灯を設けている。寛延2年(1749)の明細帳では家数360・人数1914とあり、田畑が狭いので漁業の占める割合が高く、釣漁・網漁を中心に行われていた。 さて、家島町坊勢だが、江戸時代は坊勢浦と呼ばれ、家島本島に次いで人口が多く、海岸線は複雑である。 江戸時代は家島に含まれていた。安政6年(1859)の人別帳では人数602。明治2年の戸口調では家数107・人数586とある。 今、家島本島と坊勢島は漁業と海上運輸業、男鹿島・西島は採石業が多い。 特に坊勢は島の大半の家庭(約8割)が漁業に従事していて、坊勢漁業協同組合員の平均年齢が47.3歳と日本一年齢が若い活気ある島で、後継者不足とは無縁の状態。瀬戸内海で唯一人口が増えている島である。 町並を歩くと島の外周道路は自動車が通れるが、一歩島の内部に入ると、軽自動車も通れない狭い急坂の道ばかりだ。自転車も急坂で利用できないので、殆どの方は小型のバイクを器用の扱い、大丈夫??と思う狭い急坂の道を走り回っておられ驚く光景が展開している。 若い方が多い活気に溢れる町だから、殆どの家は建て替えられ、古い町並とは縁遠いが、漁村には変わりないので、活気あふれる島の漁村集落として紹介致します。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名 平凡社 平凡社地方資料センター 1999年 |
家島町坊勢の町並 |
家島町坊勢の町並 |
家島町坊勢の町並 |
家島町坊勢の町並 |
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家島町坊勢の町並 |
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