林田村辺りは因幡方面に通じる旧道(現国道29号線)にそって栄えた陣屋町・在郷町であった。大坂の陣の功績により建部高光の孫 建部政長は新規大名に取り立てられ、元和3年(1617)林田に封じられ一万石を領した。以後林田藩は初代政長から幕末まで10代続いてこの地を領した。 窪山を城地として陣屋を建てて聖岡と名を改めた。陣屋は東西約200m・南北100m、高さ約10m余の小山を利用して、石垣と堀で囲み、城下町(陣屋町)は陣屋南方に武家屋敷を集中させ、因幡方面に通じる道に沿って町人町を南北に形成した。城下町は因幡方面への交通の要衝、宿場町、在郷町として発展し、この地方の中心地となった。 今、陣屋跡は林田中学校となっていて、その脇に藩校・敬業館の建物が残っている。 町並は因幡方面に通じる道に沿って展開し、切り妻造り平入りの商家の建物が点在する。 その中でも、街道を威圧するように建つ八重垣酒造(長谷川家)の立派な主屋がひときわ目を引く(このページのTOP画像)。本瓦葺きの豪壮で重厚な外観を持つ建物。この建物を見るだけでもこの町並みを訪ねた値打ちがあるように思った。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名U 平凡社 平凡社地方資料センター 1999年 |
林田の町並 |
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