氷上町の中心部成松は中世より、篠山から但馬和田山などに通じる但馬街道が通り、町場化してきた地域で、物資の集散地として三・八の日に市が開かれていた。 慶長3年(1598)柏原藩領、慶安3年(1650)幕府領、元禄8年(1695)近江山上藩領となる。江戸後期、寛政7年(1795)刊行の「丹波志」によると、上成松の家数は40軒、人数は安永3年(1774)150人、寛政4年(1792)128人、文久4年(1864)131人となっていて、主として農業に従事していた。明治24年の戸数34軒、人数172人であった。 今も旧但馬街道沿いには、妻入り白壁の商家の建物が連なっている。この地域の妻入り建物は摂丹型と云われるもので、切り妻型と入り母屋型の中間的な建物である。 一般に丹波・丹後・但馬地方の商家の建物は大型のものは少なく、庶民的な小型の建物が多いのが特徴である。地域により平入りであったり、この地のように妻入りであったりするが、大型の広大で重厚な建物はお目にかからない。また装飾や意匠を施した建物もないようだ。 屋根瓦は桟瓦葺きであり、中国地方の山間部から日本海側に多い、褐色の石州瓦は殆ど見られなかった。 兵庫県の歴史散歩下 山川出版社 兵庫県高等学校教育研究会 1996年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名辞典編纂委員会 昭和63年 兵庫県の地名T 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1999年 |
氷上町成松の町並 |
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