羽曳野市駒ヶ谷の町並
駒ヶ谷
地図


駒ヶ谷の町並
 羽曳野市駒ヶ谷は大阪府の南東部、大和川支流、市川の下流右岸、鉢伏山西麓の飛鳥川流域に位置する。
江戸期初めは幕府領、寛文元年(1661)からは和泉伯太藩渡辺氏領。村高は河内国輯録によると420石余、「元禄郷帳」「享保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」でも420石余と変わっていない。
駒ヶ谷を通る「竹内街道」は日本最初の官道と云われ、大化改新以降、商工業都市堺から飛鳥古京や藤原京とを結び、日韓・日中の文化交流の大動脈としての役割を果たした。
都が平城京に移ると、竹内街道よりも北西の大津道(長尾街道)が、竹内街道に代わり最短コースの官道となり、竹内街道は次第にさびれて行った。
享保年間(1716〜36)以降綿作が盛んとなり、河内木綿の家内工業が発達した。竹内街道沿いには河内木綿を扱う問屋が並び、商工業都市であった堺の町との取引が多く行われ、駒ヶ谷にも茶店や休憩所があったと思われている。
幕末以降は木綿栽培で採算が取れなくなり綿作が衰退し、モモ畑に代わっていった。大正期になり駒ヶ谷の麻野・金銅・真銅氏らが中河内郡堅下村からブドウを移植して、村内で広め昭和10年頃には、駒ヶ谷はブドウの産地として有名になった。
今、駒ヶ谷集落の旧竹内街道沿いを歩くと、伝統的な様式で建てられた大きな家屋が並ぶ。
家の表札を見ると、麻野・金銅・真銅等とあり、大正期からブドウ農家として財を成した家であることが判る。基本的には農村集落ですが、街道に面して商家建物の形式をとる家も見られるので、ブドウ農家・ブドウ商家としての生業だったのだろうと思える。
街道に面して建つ切妻造り平入の商家建物と、街道から少し奥まって建つ入母屋造りの農家建物が混在する町並である。また、この集落の特徴ある建物は白漆喰に塗り込められた持ち送りのある水切りである。竹内峠を越えた奈良県側では殆ど見られない持ち送りが、大阪側では多く見られるのも面白い。
町並み指数  30
参考文献
   大阪府の地名U  平凡社  平凡社地方資料センター  1986年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和58


駒ヶ谷の町並

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