大東市御領は大阪府の中部の東、飯盛山山麓の西側、河内平野の低湿部で淀川・大和川の氾濫原の中の微高地で、大和川付け替え前の御領村は、広大な深野池の西側に接していた。 宝永元年(1704)に大和川の付替えが終わると、大きな洪水は無くなり、大坂は天下の台所として発展をした。玉櫛川や久宝寺川の旧大和川河床や深野の池床の干拓・開墾が始まった。新大和川の河敷になった土地の3.8倍の旧河床の土地が得られ、町人請負の新田開発が行われ、河内木綿が栽培された。 さて、御領は寝屋川中流右岸に位置する。江戸期の支配関係は、青山宗俊領・太田資次領・土屋政直領等を経て、元禄5年(1692)から幕府領となり幕末を向かえる。但し寛政6年(1794)〜天保11年(1840)迄は攝津高槻藩永井氏預り地となる。 文政9年(1826)の家数54。明治9年の人数は308人とある。 低湿地の農村で稲作や河内木綿の栽培を主な生業としていたようだ。 今、町並みを歩くと、木綿栽培で潤ったと思われる豪農の大きな屋敷と家屋が連る。傍の水路には、水田や木綿栽培地へ通った田舟と呼ばれる小舟が川面に浮かんでいる。 観光用に田舟を運航しているようだった。 都会の開発された地域の中に、突如として現れる田舟を抱える農村地帯の町並み、都会である廻りとのアンバランスに驚きを覚える町並み探索だった。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和58年 大阪府の地名 平凡社 下中邦彦 1986年 |
御領三丁目の町並 | 御領三丁目の町並 |
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