淡路市志筑の町並み
志筑
地図


志筑の町並
 志筑は淡路島中央東岸最大の物資と人の集散地であった。志筑川河口南東にあり、江戸時代には志筑浦と云われ志筑浜村の枝浦だった。
慶長15年(1610)には関が原の戦の功により、徳川家康は淡路を姫路城主池田輝政に与え、三男忠雄に淡路が分封された。元和元年(1615)には大坂夏の陣に戦功のあった蜂須賀至鎮に淡路七万石が加封され、以後江戸期を通じて阿波国徳島藩領となった。
志筑浦は加子(水夫)浦で元禄17年(1704)の志筑浜村検地帳によると101人の加子の居屋敷分の年貢が免除されている。だがすでに寛文期(1661〜73)には他国船稼ぎ91名がおり、浪速・三河の船に乗り込み沖船頭・船加子を勤めていた。
江戸末期の「味地草」には家数238。反別戸数取調書では家数238・人数753。天保12年(1841)の淡路村浦二百石以上船数相改帳によると、当浦には800石積一艘・700石積一艘・500石積3艘があり、全国各地に廻船として出かけている。石見国温泉津の多田家の文章や常陸那珂湊・奥州石巻・蝦夷松前などにも入湊していることが荒浜屋利吉家文章で記載されている。
明治2年の船数石数相調帳では船数81、内漁船33とある。当地の名産には「志筑塩辛」がある。徳島藩においても御用塩辛として江戸参勤の土産とされていた。
今も志筑は町の中心地であると同時に東浦の中心地として商店街を形成し、古い町並みは旧岩屋街道沿いに展開している。海岸線にバイパスとして造られた国道28線沿いには大型店舗や新しい店舗が進出し、旧岩屋街道沿いは寂れてしまったが、本瓦拭きの商家の建物が残り、落着いた町並みを展開していた。 
町並み指数 40
参考文献 
  兵庫県の歴史散歩下  山川出版社  兵庫県高等学校教育研究会  1996年
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和63年
  兵庫県の地名T  平凡社  (有)平凡社地方資料センター  1999年

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