朝来市新井の町並
新井
地図


新井の町並
 朝来市新井は但馬地方南部、円山川上流部左岸(西岸)に位置する。
江戸期は幕府領で、新井村の村高は寛永16年(1639)の知高帳に村名が見え、高281石。宝暦7年(1757)の但馬国「国高一紙」298石余、「天保郷帳」302石余。
享和年間(1801〜1804)名古屋の菱屋平七の「筑紫紀行」に当村は「人家四、五十軒皆農家なり」と記されている。
当村の南の山口宿のある山口村から円山川を船渡しで渡った生野街道(但馬街道)は、新井村から円山川の左岸を北上して次の竹田宿に向かっていた。又この地で柚子畑川支流の八代川に沿って北上し、八代峠越えで建屋谷に至る道が分岐していた。
江戸期には生野街道沿いの農村だったのだろう。明治に入り神子畑鉱山が三菱合資会社に払い下げられ、大正8年には東洋一の選鉱場が造成された。神子畑鉱山の発展に伴って、また、明治34年には現JR播但線新井駅も開設され新井商店街も発展し賑わった。明治24の家数87・人数476。
しかし、その賑わいも昭和62年に選鉱場も閉鎖になり、新井の町は活力を失い現在の様な、旧街道に沿った住宅地となって行った。
町並はJR新井駅近く、県道70号線の西側の旧生野街道沿いに展開している。旧街道に沿って建つ伝統的な様式の家屋での商いはもう殆ど無いが、最近まで営まれていた商店の構えの家屋が続く。
虫籠窓を残した家、千本格子を備えた家、煙出しが残った家も見られる。平入妻入り、切妻造り入母屋造り、平屋・中2階建て・2階建て、茅葺にトタン覆いの家屋も見られる。
古い形式の家屋が多くを占める町並で、なかなか見ごたえある町並と思いながらの探索であった。
町並み指数 40
参考文献       
  角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名辞典編纂委員会  昭和63年
  兵庫県の地名T   平凡社   (有)平凡社地方資料センター   1999年

新井の町並

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