夜久野町額田地区は由良川の支流牧川流域、下夜久野の中心地で、山陰道に面した宿場町・市場町として賑わっていた。福知山藩領で江戸時代を送っている。 古くから毎年8月15日と12月25日に額田市が開かれていた。また、額田は漆の産地として有名で、近世末期には生漆は樽詰めにして大坂の問屋に卸され、吉野漆に対して丹波漆と称されていた。 幕末の家数は225・人数755であり、明治9年には家数206・人数823となっている。 今町並みは旧山陰道の両側に展開し、切り妻造り平入りもしくは妻入り、2階建・中2階建ての民家が連なる。国道9号線が旧街道を踏襲することなく、バイパスとして町並みの裏側を通ったので、家並みが昔のまま残った。 但馬地方で多く見られた本卯建の家も、山東町矢名瀬から10km足らずの、丹波に入ったとたんに見られなくなってしまったが、町並みの景観は良く似ていた。 京都府の歴史散歩下 山川出版社 山本四郎 1995年 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和57年 京都府の地名 平凡社 下中邦彦 1981年 |
額田の町並み |
額田の町並み |
額田の町並み |
額田の町並み |
額田の町並み |
上夜久野駅前の町並み |