八木町の町並み
本町1丁目〜5丁目
地図


本町通りの町並
 JR八木駅から南西方向に見える小高い山が城山で、八木城跡である。築城年代は不明であるが、丹波守護細川氏の家臣で守護代を勤めた内藤氏の居城であった。内藤氏は永亨3年(1431)に守護代に任じられてから、幾たびも存亡を繰り返したが、内藤貞勝が織田信長に敵対したため天正元年(1573)に内藤氏は没落した。
八木村の江戸期は、はじめ片桐且元知行地であったが、元和5年(1619)から園部藩領となりそのまま明治維新を迎える。
鎌倉時代以前には、大堰川(桂川)は今の人口密集地をか、その近辺を流れ、当時の八木村の中心地域は今より西側山麓部(本郷と称する地域)にあったと思われる。
船井郡志によると、藩主小出吉親は大堰川(桂川)流路を北東に改修変更して、新田数十町歩を開いている。今でも大堰川には藩主小出吉親の土木事業による堰の跡が多くある。
「丹波志桑船記」には家数本郷70余戸・京往来町並み100戸と記され、幕末には町並商家150戸、園部藩記録では家数172軒・人数744人、明治4年の「共武政表」によれば戸数183・人数913となっている。
交通は陸路および河川交通が開けていた。山陰道が整備され元文3年(1738)には役馬2匹と定められていた。また慶長11年(1606)角倉了以の大堰川開削により京都への河川交通が開け、大堰川と園部川との合流点をなす鳥羽浜は中継点となり、船7艘を備えていて、日吉町殿田から京都まで物資を運び、運輸問屋もあった。
産物は米麦を主産とし、綿・松茸・竹・川魚などが上げられるが、八木名産桑酒は元禄年間(1688〜1704)から造られていて、今でもそのままの製法で造られている。
古い町並みはほぼ大堰川に沿って、本町通り(旧山陰道)の本町1丁目から本町5丁目で展開しその長さは約700m位である。その中でも古い商家の建物が連続しているのは、1丁目から2丁目にかけての町並みで、右から読む「りはつ」と看板を上げた散髪屋、古道具屋などがあった。丹波には篠山の河原町商店街に代表されるように、妻入り商家群が多いのであるが、ここ八木町では妻入りの商家の数は少なかった。
町並みを構成する民家住宅の建築年代は、幕末から明治時代・大正期に建ったものが多いようだ。
中2階建て、虫籠窓の商家の建物は平入り、妻入りを含めても数が少なく、殆どの建物は明治に入って建てられた家屋と思われる。
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参考文献 
   京都府の歴史散歩下  山川出版社  山本四郎  1995年
   角川日本地名大辞典  角川書店  角川日本地名大辞典編纂委員会  昭和57
   京都府の地名  平凡社  下中邦彦   


本町通りの町並み

本町通りの町並み

本町通りの町並み

本町通りの古道具屋さん

本町通りの理髪店

本町通りの町並み
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