高島市朽木市場は滋賀県の西部、朽木谷で知られ、安曇川中流に位置する。 「近江興地志略」に朽木市場として「四の口あり若狭口・京口・高島口・大溝口是也。是より北へ行けば若狭道也、南へ行けば京師道なり十二里あり」とあるように交通の要衝であった。 朽木氏の城下町として朽木谷の商業の中心であった。朽木氏は承久の乱後に地頭として入部して以来、近世末まで当地を支配していた珍しい例である。関ヶ原の戦功により、朽木元綱は9千590石を安堵され、野尻村に陣屋を置き、市場村を陣屋町とした。市場村は領内の商業・経済の中心地として発展した。 産業は農林業が中心で、特に炭が多くの村で焼かれていた。筏流しも盛んであって、木地屋もいたようで、「近江興地志略」に「町数十町あり。此町に於いて挽物を作り、漆を以て之を塗る盆椀多くあり。京都及諸国に出し売る……」と記され、朽木盆・菊盆として知られていた。問屋には仁右衛門・助左衛門・伊右衛門などの家筋があった。 また、若狭道や朽木街道は「鯖の道」「鯖街道」と云われ、若狭からの海産物がこの朽木を通って盛んに京都に運ばれた。 朽木氏の城下町の範囲は狭かったが、大きな屋敷を構える問屋が多く、多くの物資の集散が活発であり、僻地の山村とは思えない賑わいを見せていた。 明治13年の家数108・人数500とあり、村民は農業の傍ら炭を焼くものも多かった。 今、町並みを歩くと大きな屋敷跡や大きな建物が目立つ。かってのこの地が経済の中心地在郷町として発展していた名残が色濃く残る。3階建ての百貨店まであったのだ。 町並みは一本の街道に沿って展開しているが、街道は幾重にも直角に折れまがっている。宿場町に見られるような道筋だが、宿場町でないので城下町的な要素と思われる。 ただ、この地も過疎化は避けて通れないのだろう、大きな造り酒屋の屋敷が更地になっていたり、広大な敷地の奥に土蔵だけが残っているする光景が多く見られたのには心が痛む。 角川日本地名大辞典 角川書店 角川日本地名大辞典編纂委員会 昭和54年 滋賀県の地名 平凡社 (有)平凡社地方資料センター 1991年 滋賀県の歴史散歩下 山川出版社 滋賀県高等学校歴史散歩研究会 1995年 |
朽木市場の町並 |
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